昨年のこの時期には何をしていたのかと調べてみたら、風邪を引いていた。はは。




2004年5月02日の title句(前日までの二句を含む)

May 0252004

 ほろほろと山吹ちるか瀧の音

                           松尾芭蕉

語は「山吹」で春。『笈の小文』所収の句で、前書に「西河(にしこう)」とある。現在の奈良県吉野郡川上村西河、吉野川の上流地域だ。この「瀧(たき)」は吉野大滝と言われるが、華厳の滝のように真っ直ぐに水の落下する滝ではなくて、滝のように瀬音が激しいところからの命名らしい(私は訪れたことがないので、資料からの推測でしかないけれど)。青葉若葉につつまれた山路を行く作者は、耳をろうせんばかりの「瀧の音」のなか、岸辺で静かに散っている山吹を認めた。このときに「ほろほろと」という擬態語が、「ちるか」の詠嘆に照応して実によく効いている。「はらはらと」ではなく、山吹は確かに「ほろほろと」散るのである。散るというよりも、こぼれるという感じだ。吉野といえば山桜の名所で有名だが、別の場所(真蹟自画賛)で芭蕉は書いている。「きしの山吹とよみけむ、よしのゝ川かみこそみなやまぶきなれ。しかも一重(ひとえ)に咲こぼれて、あはれにみえ侍るぞ、櫻にもをさをさを(お)とるまじきや」。現在でも川上村のホームページを見ると、山吹の里であることが知れる。「ほろほろと」に戻れば、この実感は、よほどゆったりとした時間が流れていないと感得できないだろう。その意味では、せかせかした現代社会のなかでは、もはや死語に近い言葉かもしれない。せめてこの大型連休中には、なんとか「ほろほろと」を実感したいものだが、考えてみると、この願望の発想自体に既にせかせかとした時間の観念が含まれている。(清水哲男)




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